【人生編】東京への船出このままサラリーマンになるのはいやだな〜と思い(今思えば大馬鹿ちん!)父に話をしました。 「俺、東京で一旗あげてみたい!東京の学校にやるつもりで行かせてくれんね。」と… もちろん父は反対です。 ただでさえミーハーなのに、ましてや方向音痴なのに…。 しかし、私は思ったら行動が抑えられません。 この性格が人生の災いの、いえ笑いのもとに…。 家出同然にして東京行の夜行列車に飛び乗りました (涙、BGMはアリスの「帰らざる日々」です) 東京の知り合いの先輩を頼り、その人の元にころがりこみました。 その時19歳です。 これからです。私の人生の歯車がさらにおかしくなっていくのは…。 先輩が住んでる池袋のアパートは共同便所、共同台所の四畳半一間でした。 窓は木枠です。 家も少し傾いてビー玉が床をころがっていきました。 お互いお金もなく、あるのは青年隊で鍛え上げられた肉体と根性と根拠のない自信だけです。 話し合った結果、 おんぼろの軽トラックを購入し、果物の行商をすることになりました。 屋号は「奉公息子」! BGMは三輪さんの「よいとまけの詩」です。 埼玉まで出かけ農家を一軒一軒まわるのです。 もちろん最初から売れることなんてありません。 売れずに果物はどんどん腐っていきます…。 売り上げがないから腐りかけの果物を食べて飢えをしのぎました。 しかし、半年くらい続けていると農家の方も信用というか同情というか買ってくれるようになりました。 それから自分たちでお店(青果店)を出したいと思い、市場の知り合いの八百屋に修行に行くことになりました。 ぼろぼろになるくらいこき使われました。 朝は午前2時に起きて市場で仕入れ、夜はお店の片づけが終わるのが9時。 帰ったら倒れるように布団にもぐりこみます。 もちろん風呂なんて… 休みは日曜日だけです。 その日の夕方風呂に行きます。(くさ〜) 冬なんて洋服をたたくとみかんのカビ(緑色)が舞うのです! 1年間丁稚奉公でした。よく体がもったと今でも思います。 青年隊に感謝!(当時、体脂肪率は7%くらいだったでしょう) そして、品川の青物横丁に自分たちでお店を出しました。21歳の時です。 これからですよ、私の人生が… つづく |
